地域アートプロジェクトの宙ぶらりんさ

ここ半年程度、地域のアートプロジェクトのちょっとしたボランティアをしている。

大学ではアートを少しかじったことがある程度だけれど、

現代アートの、もつ自由さとか、

日常頭でっかちに考えがちな自分だけど、

身も心も開放してアートと向き合う、

そんな魅力にとりつかれて、

参加することになった。

 

もちろんボランティアだからお金はもらえない。

基本的にはアーティストの作品制作を手伝ったり、アートプロジェクトが終われば、文章でその魅力を伝える記録のおしごと、チラシやパンフレット作り、それを近隣のお店に置いてもらうための営業まがいなもの…

結構やることはたくさんあって、

アートプロジェクトって、アーティスト単体だけじゃ成り立たないんだということに凄く驚いたとともに、

アーティストの存在だけが表向きでは目立つからそこに対して少し、というか、かなりモヤモヤしたものを感じる。

 

前述したように、地域アートプロジェクトに当事者として関与するようになってから凄く色々なことを考える。

個展やギャラリーの展示、美術館の展示などと、地域アートプロジェクトはかなり異なるということ。

前者の諸々は、アーティストの色を濃く出して全然構わない。というかむしろそのことが求められる。

個展や美術館でアーティストの作品を観て、ああ〇〇さんぽいな。〇〇さんはこんなこと考えてるのかな?このような声が出てくるのは当たり前だし、成功しているといえる。

だけど、地域アートプロジェクトというのは全く形態が異なるのだと思う。

それは、地域アートプロジェクトの1番の目的は、その地域の活性化、コミュニティの活性化にある、ということである。

つまり、作家の考えや色ではなくて、地域が活性することを第一に考える。

 

そう考えると、アーティストが自由に表現するということが難しくなってくる。

アーティストがマイナーでシュールな作品を流したら集客にも繋がらなくなってしまうから。

 

アーティストが地域の活性化という目的のために万人ウケを狙った作品を作り始めたら、

その人の色や個性、伝えたいことがないがしろになることが多い。

地域の活性化をアートを通して行う

というのは本当に役に立つのか、また、本当にそれらは共存できるのか?!

 

このようなプロジェクトのボランティアになると、

地域を活性化してほしい地元の方と

自分の好きなように表現したいアーティストと

国や県からの助成金が出ているということ(つまり税金から)によるボランティアとしてアーティストと住民の方との間に存在していることへのプレッシャー

 

の三層にもなる困難にすっかり挟まれることになる。

こう考えると、地域アートプロジェクトは、地域の活性化のために、これから先存続し得ないのではないかと感じる。