映画『聲の形』を観て

先日、映画『聲の形』を観に行ってきました。観に行ってきた理由は二つ。これまた先週くらいに観た『君の名は。』を見て、長年アニメを見てこなかった私でも、ものすごく感動し、アニメっていいかもしれない。とアニメの価値を再認識できたこと、

それと主題歌を歌うaikoさんが好きで、『恋をしたのは』を観る前から鬼のようにリピートしていたから。劇場で大音量で聴きたいな、というのがあって。(笑)

 

さてここからは少し映画の内容にも触れるので、少しネタバレにもなってしまうことをご了承ください。

 

私は映画や本を楽しむ時に、あまりあらすじを調べていかないたちなので、今回の『聲の形』も、コテコテの恋愛映画だと思っていました。なのにはじまってビックリ。主人公の女の子は耳に障害があり、耳が聞こえないという…

そう、『聲の形』は障害やいじめを題材にした物語でした。

いじめ

いじめ。言葉の響きだけでも心が沈み、耳が痛くなり、ハッとドキッとさせられる言葉です。

ドキッとしてしまうのはきっと私の昔の出来事が起因しているのでしょう。

小学校低学年の頃とても仲が良かった友達を、高学年になっていじめてしまっていたことを、この映画を見て思い出しました。「いじめられた側は深い心の傷を癒すのに長い時間を要するのに、いじめた側はすぐに忘れてしまう」という言葉はいじめについて語られる際によく用いられる表現ですが、本当にその通りでした。私は、今回の映画というきっかけがなければ思い出すことはなかったと思います。

 

劇中では、ターゲットを定め、いじめの中心人物を中心にクラスの皆が同調してゆき、いじめが次第に教室中に広がっていく様子がとてもうまく表現されていました。日本人の多くが持つ「同調」の精神。自分は違う意見を持っているけれど、みんなに嫌われたくない、敵対視されたくないから、大多数の人の意見に同調する。このしきたりは特に小学校〜高校まではよく見られると思います。「あいつKYだよな」「あの子ちょっと変わってるよね」「あいつクラスで浮いてるよな〜」このような言葉が日本人の「空気を読んで同調する」という性質をよく表しているんじゃないかなあ。と思います。

 

私自身も高校時代、ひょんなことで仲が良かった7人グループのうち一人がハブかれました。四人vs.三人(私と友人、ハブかれていた子)という構図で、ハブかれていた子は次第に学校に来なくなりクラスからも浮いていきました。

私と友人はハブかれていた子の肩を持ちながらも、自分たち自身も、クラスから浮くことを避けるために、クラスの中ではあまり接触しないようにしていました。その子を守りたい、けれど自分自身がやっぱり一番大事。だったのだと思います。

そのハブかれていた子は結局学校を中退してしまいました。

今もしあの時に戻れたとしても、その子のそばにいられる自信ははっきり言ってありません。今も昔も、自分自身が一番大切で、やっぱり一番可愛いのです。きっと。

大学生になった今では、クラスという概念がなくなったため、自分が本音をぶつけ合え、支え合っていける友人を選んで付き合うことができるようになったので、ものすごく精神的に楽です。

ですが、自分が一番大事、自分が傷つきたくないから、自分を守るために八方美人になったり、言いたい事が言えなかったり、基本的なところはやはり変われていません。友人関係や、恋愛において、不満を我慢してしまう事が多いということがよくそのことを物語っていると思います。

 

変わりたいなあ。